ぼくの糖尿病の原因って、
いったい何だったんだろう?

今さら振り返って反省しても何も起こりませんが、
糖尿病予備群の方にはなにがしかの参考になるかもしれません。

思い当たる原因として考えられることをお話しします。

でも、思い起こせば、
それは笑ってしまうようなことです。

体質とは考えにくい

ぼくの家族や親戚には糖尿病患者をはいません。

また、僕の家族や親戚の体質はほとんどやせ形です。

筋肉質の人間や肥満型もいません。

ところがぼくだけは多少太っています。

ぶよぶよの太り方ではなく、やせ形がちょっと太ったという感じです。

糖尿病を発祥したときは、
身長176㎝で体重68㎏。

もともと骨が細いので、
これでも太っているという感じです。

普通に考えれば糖尿病にはなりにくい体だと思っています。

それがなぜ糖尿病になったのか?

考えられるぼくの糖尿病の原因

まず、ぼくは太りたかったことが上げられま。

ぼくの20才の頃の体格は176㎝で50㎏。

友人達からは”でんしんばしら”とか”割り箸”とか言われました。

また、高校2年生の終わり頃までぼくはちびでした。

そのために、小学校の頃はいじめに遭いました。

以来、体を大きくして体重を増やすのが悲願だったのです。

筋トレをやったり食事の量を増やしたりしました。

テニスもやりスキーも始めました。

努力が実を結び、25才を過ぎた頃から徐々に体重が増えてきました。

それに気をよくしてさらに体重を増やそうと努力しました。

悲願の60㎏を超えたときはうれしくて飛び跳ねたものです。

このときはまさかこれらのどれかが原因で
糖尿病になるなんて思ってもいませんでした。

札幌転勤も引き金になったかも

30才を過ぎて会社から札幌転勤を言い渡されました。

札幌は再三出張で来ていて、
地方転勤は嫌という思いはありませんでした。

むしろ、スキーをやり北海道内を旅行しまくろうとわくわくしたものす。

ところが、通勤は家の前から会社の前までバス。

ほとんど歩きません。

仕事で出かけるのは会社の車。

たまにやるテニスや冬場のスキーぐらいでは運動不足は補えません。

当時の札幌ではテニスコートが少なく、
場所取りが難しい。

そんなに頻繁にはやれません。

冬場にスキーへはかなり行きましたが、
普通に滑っている分にはあまり運動をしているという感覚はありません。

そりゃ下手な内は汗をかいて四苦八苦しながらやりますが、
ある程度うまくなると上から文字通り滑ってくるだけ。

あまりエネルギーを使っていません。

要するに、札幌にいた間はかなりの運動不足状態でした。

会社は飲料メーカー

おまけに、
その頃働いていた会社は飲料メーカーでした。

社内で飲む飲料はすべてただ。

飲み放題。

朝、出勤してすぐに1本。

昼前にまた1本。

午後の昼食後に1本。

3時頃にまた1本。

夕方に1本。

とにかくただですから机の上にはいつも飲み物。

通勤で歩くことはなく、
運動もしない。

常にカロリーをため込む状態です。

たかが飲料水、
でもだいたい1本あたり60~80カロリーはあります。

要するに、
カロリーを消費する時間はないのに常にカロリーは補充しまくっている。

この頃、体重はどんどん増えて、
一番重かった頃は70㎏を越えていました。

そして、会社の健康診断で宣告されました。

「あなたは糖尿病の兆候があります。病院で詳しい検査を受けてください」

検査は受けたものの継続的治療はせず

最初に糖尿病の兆候があると聞いたときはびっくりして、
すぐに検査を受けました。

その後は気になって病院へ行ったり行かなかったり。

そして、数年たっても糖尿病の兆候はあるものの、
それ以上悪くならないので糖尿病のことはすっかり忘れていました。

それから10年とちょっとたった頃、
自覚症状が出始めて、
それから治療を始めたもののすでに手遅れ。

まとめ

ここでぼくがいかにしてして重症の糖尿病になったかをまとめてみます。

まず、太りたくて食欲以上に食べ続けてこと。

念願叶って70㎏になってもまだ食べ続けていました。

長年の習慣は変えれません。

次に、札幌転勤でほとんど運動をしなくなったこと。

通勤で歩くことがなくなったことも大きかった、
と思っています。

飲料メーカーで働いていたために
一日中カロリ-を補充し続けたこと。

すなわち、常に血糖値が高いまま。

もしも札幌転勤がなかったなら、
必要以上に太りたいと思わなかったら、

もう今考えてもどうにもなりません。